あの日(東日本大震災)
今日は何の日かというと、皆さんも忘れはしない、東日本大震災が起きた日です。あれから五年・・・早いです。
3月11日になると、必ずその当時の様子を思い出します。
その日は前職で車の買取やっていて、箱根まで引き取りに行って帰る時でした。
小田原厚木有料道路に入った時に、ラジオで
「地震です、スタジオが大きく揺れています!」
運転しているときはなかなか気づかないんですよね。周りの車も止まることなく普通に走ってました。が・・・
橋を越えようとした時、車が横転する!と思うくらい真横に揺れて、周りの走ってる車も事の大きさに気付き、道路の脇に停めたり、徐行してました。
高速の電光掲示板も「地震、この先の出口で出よ!」と変わりましたが、ここで出たら次の引き取りに間に合わないと思い、とりあえず首都高までは何とか走れ、首都高入り口付近の東名出口は大渋滞。
首都高の料金所もETCレーンが開いたままでそのままスルーでき、ガラガラの首都高を降りることなく、三郷市まで帰れました。
でも、帰りつくまでに車のテレビから流れる光景はまるで映画のようでした。
宮城県の名取川が津波で氾濫し、車や人が次々に流されていく映像でした。
あのシーンだけは今でも目に焼き付いています。ハンドル握る手が震えていました。
会社の前の道路は大渋滞。もちろん、電車も止まり、次の引き取りも行ける訳がなく。20分で自宅に帰れる所を二時間かけて帰りました。
帰ってテレビを付けると、海岸に300人の遺体が上がっているとかの情報ばかりが流れ、
朝になれば、福島第一原発が危ないとか、東日本は今後住めなくなるなどの情報が流れ、生きた心地がしませんでした。
震災のあの日、皆さんはどう過ごしてました?
東日本の為に少しでも、力になりたい、復興支援したい!そんな声があっても・・・
皆さん口では復興復興とは言うけど、自分の住んでる地域に汚染物が運ばれると受け入れ反対、抗議。
自分の心の中は苛立ちでいっぱいでした。
あれから5年。
篠田石材の廊下には未だに、社長、営業スタッフでボランティア活動した際の写真が貼られています。
ここに貼られて五年。当時ボランティアの様子を主任がブログでアップしています。
ボランティア活動のブログは→こちら
5年経っても、何年経っても、3月11日のあの日の映像は同じように蘇ってきます。
東日本の復興をお祈りするとともに、犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申しあげます。