墓じまいを考える前に、早稲田大学の「社会人講座」で語ったお墓が持つ本当の意義
さて本日は少しばかり真面目な、そして私自身の根幹に関わるお話をさせてください。

実は先日の2026年8月下旬、ご縁があって早稲田大学の「社会人講座」に講師としてお招きいただきました。
当日は、中野区周辺にお住まいの60代から70代の男女、計15名の方々が参加されました。同世代、あるいは少し先輩にあたる皆様の眼差しは真剣そのもので、私自身も身の引き締まる思いで教壇に立ちました。 しかし、講義のあとの質疑応答の時間になると、会場の空気は一変しました。
皆様から次々と飛び出す質問は驚くほど現実的で、ある一方向に偏っていたのです。
話題の樹木葬にするにはどんな手順を踏めばいいか。散骨にかかる費用やルールを教えてほしい。田舎にあるお墓の墓じまいは具体的にどう進めるのが正解か。
矢継ぎ早に投げかけられるこれらの質問を聞きながら、私は現代の終活トレンドが抱える一つの大きな偏りを感じていました。
皆様の関心はお墓をどう整理するか、いかに効率よく片付けるかという方法論ばかりに強く集まっていたのです。
もちろん、その背景にあるお気持ちは痛いほどよくわかります。
子どもたちに面倒をかけたくない、自分たちの代で綺麗にしておきたいという親心。それは決して間違ったものではない。
以前私が目を通した「月刊石材」という専門的な業界紙の中にも、墓石の解体工事や撤去に関する手続き、産業廃棄物としての適切な処理についての記述があり、業界全体としてそうした整理の需要にどう応えるかが大きな課題となっているのが現実だ。
しかし、だからといって、心の部分を置き去りにしてしまっていいのだろうか。
手段やテクニックばかりが先行し、一番大切な心の部分が見落とされているのではないか。 私は石屋として、どうしても伝えなければならない強い使命感に駆られました。
そこで私は、参加者の皆様に向けてあえて少し厳しい問いかけをしました。
なぜお墓がそこにあるのか
今、皆さんがしまおうとしている、あるいは整理しようとしているそのお墓は、そもそもなぜ現在そこにあるのでしょうか。
お墓は、ある日突然、誰の意思もなしにそこに建つわけではありません。
かつて、皆さんのお父様やお母様、あるいはもっと前の時代のご先祖様が、愛する家族のためであったり亡き人のために、並々ならぬ想いと決意を持って建てたものではないでしょうか。
この場所に家族の絆を繋ぎたい。先に旅立ったあの人が決して一人ぼっちにならないように。 そんな言葉にならない願いや祈りを形にするため、決して安くはない費用を工面し、大変な労力をかけて用意してくれた祈りの場なのです。
墓じまいという最終的な手段を考える前に、まずはその建てた人の思いに立ち返ってほしい。そこにどんな願いが込められていたのかを、一度静かに想像してみてほしいのです。
そしてもう一つ、お墓をなくすという選択がもたらす真の重みについてもお話ししました。
散骨や墓じまいをすれば、当然のことながら、それ以降はその特定の場所に足を運び、手を合わせることはできなくなります。 この喪失感は、想像以上に大きい。
いつでも会いに行ける場所があるということの安心感を私たちは日頃当たり前のように感じていますが、それを自らの手で手放すことの重みを本当に自覚しているだろうか。
現代の便利さや片付けやすさ、あるいは後の世代への配慮といった自分たちだけの都合で、安易にお墓を処理してしまう前に、もう一度立ち止まって考えてみてください。
かつて家族のために、その祈りの場を用意してくれた先代たちの祈りの心を無にしてしまわないか。
お墓はただの物体ではない
私は約40年にわたってこの石材業界に身を置き、数え切れないほどのお墓の建立や、逆に解体の現場に立ち会ってきました。 その長い経験の中で得た確信があります。 お墓とは、単なる法律や習慣に基づいた遺骨をしまっておく箱ではありません。ただの冷たい物体ではないのです。
お墓とは建てた人の人生の物語そのものであり、深い哀悼の意の表れです。 そして何より、大切な存在への変わらぬ愛や感謝の心が物質化した「依代(よりしろ)」なのです。
石という永遠に等しい命を持つ物質に、人々の目に見えない思いを封じ込める。この目に見えない心の通い合いを可能にする空間であることこそが、お墓の持つ最も根本的な存在意義なのだと私は定義しています。
こうした私の考えは、机上の空論ではありません。
長年現場で汗を流し、多くの方々とのご縁の中で培われてきた、石屋としてのプロフェッショナルな信念です。 私はこの信念を、会社の朝礼などで若い社員たちにも繰り返し伝えています。
先日もお寺の住職からいただいた教えがあります。 石屋は、ただの石ころを売ったり動かしたりしているのではない。愛する家族を失った人々が手を合わせ、涙を流し、心の拠り所とする祈りの対象を作っているのだ。
私たちは単なる建設業や販売業ではない。
人の祈りそのものを形にする、極めて精神性の高い仕事をしている。 その誇りと責任を、社員一人ひとりが胸に刻まなければならない。
だからこそ、私たちは古い石に対しても、深い敬意を払って接します。
現場に出れば、江戸時代など何百年も前に建てられた古いお墓を扱うことも珍しくありません。
表面の文字は風化し、一見するとただの古い石塊に見えるかもしれない。しかし、それをただの石として扱うことは絶対に許さない。 その石には、何百年も前の人々の悲しみや祈り、そしてその時代を生きた名もなき石工たちの魂が込められている。 当時の時代背景や故人への想いを汲み取り、丁寧に、そして敬意を持って扱うべきだという姿勢を現場の隅々にまで徹底させています。
子供に迷惑は本当なのか
お墓とは、単なる処分や終活の手続きといったテクニックで語れるものではありません。
お墓を通じて、先祖や身内の思いと静かに心の対話すること。
そして、なにより大事なのがお墓の話を家族と対面で話し合ってほしいと常々思っています。
先日発売された「PRESIDENT」の記事に中で18・19才を対象に6年間で1733人に行ったアンケート結果で、年に1回以上お墓参りをする学生が73%、お墓が必要だと答えた学生が79%いるということでした。
多くの若い世代の方はお墓=迷惑と思っていないのです。
もしかしたら、子供や孫のために負担を残したくないという親の考えは、その当人達とすれ違いが起きているのかもしれません。
石屋がそこまででしゃばってと言われたらそうかもしれない。でしゃばりの、ちょっと小うるさいおじさんとでも思ってくれればいい。それでもお墓に向き合う機会を与えることができればそれに越したことはないのだから。
最後までこの長い文章にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。